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1976年モントリオール大会


1976年のニュース

王選手が714本塁打 ベーブ・ルースに並ぶ


写真
ベーブ・ルースの写真と花束を手に、ジョンソン選手と握手する王選手(右)

セ・リーグの優勝をかけた巨人−阪神5連戦の第1戦が10日、後楽園球場で行われ、巨人の王選手は1、7回に、古沢投手から本塁打を奪い、プロ入り通算714本目をマーク。ベーブ・ルース(米)の生涯記録に追いつき、今期引退したハンク・アーロン(ブリュワーズ)の大リーグ記録755本に、あと41本と迫った。

     ◇

打った瞬間、王は「入ったとは思ったが、714号だ、とはすぐにピンとこなかった」そうである。本塁に用意されたベーブ・ルースの額入りの写真と花束を受け取って初めて実感がわいた。

王がルースの記録を意識したのは400号あたりだ。それからずっと追い求めてきた「714」。それを一瞬でも忘れさせたぐらい、王は勝負に没頭していた。

「6回に、送球をこぼして(河埜の一塁転送悪投)、2点とられていたでしょう。何とか塁に僕が出て返さねばならない。714より、そればっかりしか頭になかったんですよ」。若い河埜をかばうあたりが、いかにも王らしい。

ここ5試合ほど、当たりが止まって、阪神との5連戦では、ルースに追いつき追い越すのは無理ではないか、という見方が多かった。しかし、本人にいわせると、「安打が出なかったのは結果であって、気持ちは充実していた」という。この日、試合前の打撃練習でも、タイミングは狂いがちだった。見ていた吉田監督は「当たりが出ないといって安心できる人ではない」と警戒心を解かなかったが、予感はまさに的中だった。

試合が始まると、王は気迫を体中にみなぎらせていた。右翼席ぎりぎりに入った同点2ランの713号を、王は「風が後押ししてくれた。神風ですよ。阪神に先行されたすぐあとで、714号よりうれしかった」といった。打った球は外角寄りのシュート。古沢は「他の球場なら右飛や」とくやしがったが、それをスタンドにねじ入れたのは、王の気迫だったかもしれない。

古沢は、この一打ですっかり王にひるんだ。次の打席からは、投球が逃げ腰。加えて直球にスピードが乗らない古沢はスローカーブを多投した。それも決まって初球だった。

7回の714号は、その配球を読んだ王の勝利だろう。打たれた古沢は「高めのカーブ。見逃さずに打ってきたのはさすがや」とシャッポを脱いだ。

     ◇

王選手は翌年の77年9月3日、ハンク・アーロン選手が持つ通算755号を抜く756本塁打を放ち、80年の現役引退までに通算868本塁打を記録した。

(1976年10月10日)

  ※76年10月11日付の朝日新聞朝刊ほかの記事をもとにしました。
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