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1980年のニュース

巨星消え 秋風吹く プロ野球


人気者の長島監督が巨人を去り、王が現役を引退して、プロ野球は一挙に2人のスーパースターを失った。王は巨人に残るとはいうものの、助監督という縁の下の力持ちであり、ファンを楽しませるホームランはもう打たない。王、長島に匹敵する後継者も見当たらず、80年代は序盤から思わぬピンチとなった。

長島監督が辞任 後任に藤田元司氏
杉下コーチも辞表出す

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「胸中いかに・・・」監督辞任について、記者団からの質問に答える長島監督。右は長谷川球団代表

プロ野球セントラル・リーグ読売巨人軍の長島茂雄監督(44)が10月21日、チームの成績不振の責任をとって辞任した。49年に現役を引退、そのまま第7代の巨人軍監督になって6年目だった。この間、2回リーグ優勝したが、昨年は5位、今シーズンも3位にとどまった。また、同監督の補佐役だった杉下茂ピッチングコーチも辞表を出した。後任の監督には同日、巨人OBの藤田元司(49)=NHK野球解説者=が決定した。

長島監督は東京・大手町の読売新聞社で同日夕、記者会見し、「みなさまの期待にこたえることができなかった。今月上旬、長谷川球団代表に辞表を提出した」と語った。辞表はこの日の球団緊急役員会で受理された。

監督交代について、正力亨・読売巨人軍オーナーは記者会見で「覇権奪回をめざし、マンネリ打破のため長島監督に代わって藤田氏を起用する」と語った。

長島監督の今後の処遇について、正力オーナーはフロント(球団経営陣)入りを強く要請しているが、長島監督は「足元を直視し、これからの人生を考えてみたい」と話しており、巨人軍とは縁が切れる可能性が高い。

藤田氏の起用は、正力オーナーによると「巨人OBの推薦で決まった」という。藤田新監督は同夜、東京・用賀の自宅で「守りの野球をやりたい。契約は3年だ」と語った。

新監督は22日午前、正力オーナーと球団事務所で会い、コーチ陣などの編成を話し合う予定。

一部でいわれた川上哲治元監督(NHK野球解説者)の球団代表就任については、同氏が「そんな話はない」と否定した。

一方、長谷川球団代表は、自分の進退に関して「いまは問題処理に追われているが、事態については十分責任を感じている。処理がすんだら、私のこともはっきりさせる」と辞任をほのめかした。

長島前監督は、33年、立大から巨人軍に入り、現役時代は「ミスター・ジャイアンツ」といわれ、王選手とともに、華やかな「ON時代」を築いた。そして、49年、現役を引退し、第7代の巨人軍監督になった。

「ミスター巨人」傷だらけの花道 「男としてケジメを」
淡々と不振の責任強調

「男としてケジメをつけたい」−長島監督は淡々と言った。時には笑顔さえ浮かべながら。「監督失格」のラク印を押されての突然のざ折。胸に無念の思いがないのかどうか、記者会見では、ついにわからなかった。むしろ「責任はすべて私に……」といじらしいほど強調した。勝つためには、と、あっさりツメ腹を切らされた「ミスター・ジャイアンツ」の辞任劇に、なにかしら、哀れさが漂った。

午後5時過ぎ。東京・大手町の読売新聞東京本社内会見場に現れた長島監督は、明るいグレーの背広姿。ピンクとグレーのネクタイ、胸のハンカチにダンディーぶりがのぞく。つめかけた約200人の報道陣を見回し、「ゴホン」とせき。27本のマイクを前に、カン高い声で話し始めた。

「みなさまのご期待にこたえることができず、ご迷惑をおかけした。今年で契約が切れるので、10月初めに辞めたいと代表にお願いしていた」。ファンには唐突に見える辞任も、早くから検討されていたことを明かす。

「来季の構想についてフロントと確執があったようだが」と質問が飛ぶと、両手をヒザに乗せ、身を乗り出した。「いや、いや、そういうことはない。戦績が不本意に終わった。男としてケジメをつけたい」。「勝つことが監督の使命です。自分の力が及ばなかった」「不振の責任はすべて私にある」と繰り返す。

球団から要請されたフロント入りを断っているいきさつについても、「ここいらあたりで自分を直視したい。適正が向いていない。ただ、そこまで心を配ってくださる球団に感謝の気持ちでいっぱいです」

しかし、「今シーズンの最終ゲームでAクラス、3位を確保した。若干、満足している」というくだりには、ちょっぴり自己弁護も。「さびしいでしょうね」と聞かれたときだけは「ハイ、ハイ。楽しかったこと、苦しかったこと……むしろ苦しいことが多かった」と顔を紅潮させた。

これより先、来季の新陣営を発表した正力オーナーは「勝利を宿命づけられたチームとフロントの新展開をはかるため、長島クンはフロントで実績を発揮してほしい」と、未定の「処遇」を公にした。

スポーツ紙の朝刊に「長島更迭」の予想が流れたこともあり、球団本部には早くからファンの抗議や問い合わせの電話が相次いだ。名選手必ずしも名監督ならず、とはいえ、ボロボロになったさびしい辞任だった。

(1980年10月22日)
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