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1984年ロサンゼルス大会


野球
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日本、番外の金メダル 5万観衆の中、米国に圧勝


写真
野球の決勝戦で米国を破り、マウンドに駆け寄る日本選手たち=1984年8月7日、ドジャースタジアムで

ドジャースタジアムで行われた公開競技・野球の決勝戦で、日本は米国チームと5万人を超す大観衆を向こうに回して冷静ではつらつとしたプレーを続け、6-3で完勝した。

圧巻は8回、広沢(明大)が放った120メートルの大ホームラン。2死一、二塁で打席に立った広沢はフーバーが投げた高めの好球を思い切ったスイングで左中間の一番深いスタンドに一直線でたたき込んだ。

日本は抑え役の伊東を先発に使ったが、3回に先取点を許した。だが4回、四球でつかんだ1死一、二塁から荒井(日本石油)が一塁右をゴロで抜いて正田(新日鉄広畑)を、続く広沢もセンター前にはじき返して熊野(日本楽器)を、それぞれ迎え入れた。

○日本チームに金メダル

試合の直後に行われた表彰式。3位決定戦が延長にもつれ込んだうえ、日米決戦が3時間近くかかってすでに真夜中。ホームプレート前に並べられた赤色の台の上に日本チーム、左に米国、右に台湾。観衆が3チームに惜しみない拍手を送る中をサラマンチIOC会長が、ユベロス・ロス五輪組織委員長に付き添われてグラウンドに現れ、日本の選手一人ひとりに握手をしながら金メダルを手渡す。

野球はまだ公式種目ではないが、今大会は上位3チームにメダル授与が初めて許された。渡されたメダルも直径6センチ、厚さ4ミリの本物と同じ材質で、メダルの裏側の模様だけが少し変わっている。メダル授与が終わったところで一塁側ベンチわきのメーンホールに日の丸が揚がった。続いて「君が代」。監督や若い選手の目に涙が浮かんでいた。


フォトギャラリー:野球日本代表の歩み
野球日本代表の成績一覧
(1984年8月7日)

  ※明大の広沢克巳(その後「克実」に改名)選手は、84年秋のドラフトでヤクルトに1位指名され入団。巨人、阪神と3球団で4番を打ち、2003年に41歳で引退するまで、通算306本塁打の活躍をしました。
   新日鉄広畑の正田耕三選手は、84年のドラフトで広島に入団。87、88年に首位打者、89年に盗塁王に輝くなど活躍し、98年に引退しました。
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