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1988年ソウル大会


柔道
柔道

95キロ超級の斉藤、面目の金 今大会で唯一 柔道


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やっと金メダル。表彰台で涙ぐむ斉藤

ソウル五輪は第15日の10月1日、最多の37種目でメダルが争われ、日本柔道はしんがりの95キロ超級、斉藤仁(国士大教)が優勝、「本家」に今大会唯一の金メダルをもたらした。

前日までの6階級で1人も決勝進出者なしと、日本柔道史上最悪の成績で迎えた柔道競技最終日、斉藤は、決勝でヘンリー・ストール(東ドイツ)を小差で破り、ロサンゼルス五輪に続いて優勝した。柔道での五輪2連覇は、今大会86キロ級のザイゼンバッハ(オーストリア)に次いで史上2人目。

金メダルのプレッシャーに負けて、日ごとに試合内容が悪くなっていった日本チーム。文字通り最後の砦(とりで)として登場した斉藤は、昨年の右ひざ故障の後遺症にもめげず、1回戦から勝ち進み、決勝でも終始押し気味に試合を進め、待望の金メダルをつかんだ。しかし、これまでの五輪、世界選手権で全階級の半数以上を常に制してきた日本は、今大会、7階級で金1個、銅3個に終わった。

◇    ◇    ◇

判定で日本に柔道初の金メダルをもたらした斉藤仁(国士大教)の顔が時間切れのブザーで一瞬ゆがんだ。不振を極めた日本柔道のため「せめて1本勝ちで有終の美を飾りたかったのに」。そんな思いと、勝利の喜びがまざり合った複雑な表情だった。

◇    ◇    ◇

上村監督の目には、表彰台の上で大きく口をあけて「君が代」を歌う斉藤の体がかすんで見えたに違いない。ほおを伝わるいく筋もの涙に追い詰められた日本柔道の苦悩と、斉藤が五輪2連覇のおまけつきで今大会初の金メダルをもたらした喜びが込められていた。6連敗の後を受けて文字通り最後の砦(とりで)として登場した斉藤。だが、昨年痛めた右ひざの故障がいつ再発するか、不安を背負っての登板だ。

決勝のストール(東ドイツ)戦の前、斉藤は痛み出した右ひざに自分でハリを打った。苦しい試合だった準決勝の趙容徹(韓国)戦で、5分間フルに戦った際に右ひざが痛み出したのだ。不安が走った。

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柔道・男子95キロ超級決勝、激しい闘志でストール(東ドイツ)を押しまくった斉藤

決勝戦。斉藤とストールは互いにがっちり組んだままなかなか技が出ない。金メダルを前に、どうしても慎重にならざるを得ないのだ。開始1分26秒、両者に「指導」が出されると、斉藤は背負いに入った。ひざを痛めて以来、斉藤は、攻撃パターンを変えざるを得なくなっている。軸足を痛めているため、内またなどの立ち技が思うにまかせず、寝技に活路を見いだす。背負い投げで相手を崩す戦法だ。この日もそれで1、2回戦をしのいで来た。

しかし、長身のストールはふところが深いこともあって、背負い投げからのくずしが通じない。選手・役員席から上村監督がさかんに「内またをかけるな」のサインを出す。残り約1分、積極的に技をかけないストールは「警告」をとられており、このまま終われば、斉藤は勝つ。そう読んでのサインだ。刻々と時が流れる。互いにポイントがないまま、時間切れ、斉藤の優勝。

警告勝ちは日本の応援団には物足りなかったかもしれない。うっぷん晴らしのためにも、最後はぴしゃり1本勝ちといきたかった。

「勝負に対してがめつくいかしてもらった。それがあの結果です」と斉藤。「勝つための柔道」は、3年前のソウルでの世界選手権で左ひじを痛め、優勝を逃がして以来、右ひざ故障などのけがに泣き、後輩の正木嘉美(天理大教)に全日本選手権で先を越された苦悩の日々を送った結果、行きついた「生まれ変わった斉藤」の戦法だった。

今年の全日本柔道選手権の初制覇。そしてソウル五輪代表選考会での優勝は、いずれもかつての斉藤のイメージである「豪快さ」をかなぐり捨てて小技でポイント稼ぎに出て得たものだった。

「ソウルでは人間のきたなさを吐き出して、どんな手を使ってでも勝ちたい」との執念を実現した。その結果が山下6段も果たせなかった五輪2連覇につながった。そんな斉藤を上村監督は「プレッシャーをはねのけてよくやってくれた。昨年1年間のブランクで精神的に強くなり、よくぞここまで来てくれた」とたたえた。

苦難の時期、何度か「もうやめようか」と思ったことがある斉藤は、今夏の合宿で、「ソウルが終わったらもう国際試合からは退くかも」と一線を退くことを口にしたこともあった。が、優勝後の記者会見では「引退のいの字も考えていない」。この日、日本柔道のなだれ現象を止めたように、まだまだ日本は斉藤の力に頼らざるを得ない。

 力は出し切った

斉藤仁選手の話:正直いって不安はあったが、無の心境でいままでやってきたことをすべて出しきろうと思った。準決勝、決勝で1本勝ちは出来なかったが、勝負にガメつくなろうとした結果で、力はすべて出しきった。日本が負け続けていやな流れになったが、オレはオレ、無になって勝負してやろうと思った。ロスの時より精神的に強くなった。

(1988年10月2日)
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