米メディアが惜別し、将来を憂う日系人社会の現状を、日系人自身はどう見ているのか。サンフランシスコ中心部のビルに小さな事務所を構える日系3世の弁護士(46)に会いに行った。3世ながら彼は日本語が堪能だ。小さい頃から週末は日本語補習校に通って日本語を何とか覚えたが、生きた日本語を教えてくれたのは、可愛がってくれた1世の祖父だったという。学生時代に日本に長期滞在した際、仲良くなった日本人の友だちに「活動写真を見に行きたいから、次の休みに連れて行ってくれないか」と頼んでみたが、通じなかった。「映画」という単語を知らなかったからだ。
日本食スーパーの掲示板から |
苦労して身につけたはずの日本語に「明治」の言葉が残っていた。自身や他の日系人にとっての「日本」や「日本語」は、「時間が止まった過去のものだという単純な事実にようやく気づいた」という。
彼はジャパンタウンの現状について「日系人が作り出したイメージの中の日本」であり、「日系人は今の日本を知らない。水槽の中を見てそこが海だと思っているようなものだ」と話した。「日系人とひとくちに言っても、移民としてゼロからスタートした1世、戦中は敵性外国人として収容所に送られた2世、戦前・戦中に日本に戻って教育を受けた帰米2世、そして3世・4世。体験がそれぞれ違うし、互いに反発しあう。混じり合うことが少ない」という。
ジャパンタウンにある「ちょうちん」ショップ |
夕暮れ時、サンフランシスコのジャパンタウンに立ち寄った。通りの表示にも日本語が併記されている。チャイナタウンに中国語表記が溢れるように、この小さな街にも日本語は溢れる。自社ビルを堅持する紀伊国屋書店に入ると、日本人客が忙しげに新刊書籍や雑誌コーナーを見て回る。しかし、そこから近鉄が手放したホテルへと連なるショッピングモールは、夕食時にはまだ早いこともあり、閑散としている。にぎわいを見せているのは、ショッピングセンターの一角にある日系のスーパーマーケットぐらいだ。
静かなアーケードを日系人らしき高齢の女性2人が腰を曲げ、手を取り合って歩いている。ふたりの日に焼けた顔に刻まれた皺は深く、美しい。だが、ひとりひとりの記憶を丹念に追わないと、目に見える風景の奥にあるものは見えてこないように思えた。サンフランシスコ郊外に住む帰米2世の男性に電話し、会う約束を取り付けた。
(文・どらく編集部 菅光)
(更新日:2007年07月27日)

※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。