

ヒマラヤの懐に抱かれた王国・ブータン。九州よりやや大きい国土に、標高200〜7000メートルの山々が連なる人口67万人あまりの仏教国だ。近年世界の注目を集めているのが、ジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が1970年代半ばから打ち出している「国民総幸福量(Gross National Happiness=GNH)」というコンセプトである。
軸となるのは、1.経済成長と開発、2.文化遺産の保護と伝統文化の継承 3.自然環境の保全と持続可能な利用 4.よい統治。国民総所得(GNI)だけで見てみると、年間660USドル(2004年世銀資料)。しかし、GDPやGNPといった数字が国の状況を決めるものではないと考えた国王は、近隣のアジア諸国が急速な近代化を進めるなか、4つの概念を取り入れながら、ゆっくりと開発を進めていく道を選んだ。
例えば民族衣装着用や建築物の伝統装飾を義務化し、文化遺産を積極的に保護する。ビニール袋などプラスチック類の使用禁止令で環境保全に目を配る。一方で、教育費や医療費は無料化するなど、社会福祉は手厚い。こうした具体的な施策が国民の支持を集め、環境問題に悩む世界各国からも新しい国の姿として注目を集めている。
GNH増大に向けて歩み続けるブータンの「幸福」を訪ねる旅に出かけた。




古都パロの農家に泊まった。農業はGDPの36%、就労人口の9割を占めるブータンの主要産業。国際空港があるパロはブータン第2の都市だが、繁華街といえるのは商店が集まるメインストリート周辺のみで、道を外れるとすぐに田園地帯が広がっている。宿泊した農家は築50年の堂々たるブータン式家屋で、屋根裏に食物貯蔵庫があり、2階と3階の7部屋が一家7人の住まいだ。磨き上げられた鍋が並ぶ台所では、かまどと電熱調理器がともに活躍している。隣接した小さな畑で、ゲンブさん(66)が、エンジニアを目指す孫のダワ君(13)とその友達一同を従えて動かない耕運機と格闘していた。医者を夢見るダワ君の妹ツェリンちゃん(12)は、勉強に余念がない。階段がぎしぎしする、すすけたこの家が好きだと彼女は言う。現代風な暮らしに、魅力を感じないのだろうか。
「休暇で首都ティンプーの親類の家に行ったけど、人が多く物価も高い。部屋でずっとテレビを見てた。パロのほうがずっときれい」。そう話す目線の先には、見渡す限りの水田があった。
「ひとつ屋根の下で、家族が毎日一緒にじいさんの米を食べている。これ以上何が必要だい?」
夕食どき。航空会社に勤務する父親のツォツォ・ドゥクパさんに、彼が思う「幸福」を聞いた。「国にとっての幸せは平和だが、ブータンはすでに十分な平和を持っている」と胸を張る。
家族が集合した食卓には、唐辛子をチーズで煮込んだエマ・ダツィ、干し肉を唐辛子で炒り煮したパー、ヤクのバターを入れたお茶、そして山盛りの赤米。インドから輸入される白米の方が安いが、ブータン人は口をそろえて「赤米の方がおいしい」という。
ティンプー市場にも、こだわりが垣間見られる。国産と輸入食物でエリアが分かれている。「農薬をあまり使わないせいか量も少なくて、ブータンの野菜のほうが高い。でも、ブータンのものを買う人が多いよ。おいしいから」とガイドのカペル・ドルジさん(37)は言う。ブータン産の方が、品数も豊富で、唐辛子だけでも7、8種類ある。野草やキノコ類も少量ずつ多品種が並ぶ。
彼にも、「幸福指数」について聞いた。
「稼いだお金で好きなことができるし、満足しているよ」
幸せとは満足だと思う、とカペルさんは言った。この言葉を何人ものブータン人から聞いた。彼は一時、ナイトクラブで毎晩遊んでいたが、やがて興味を失ったという。「遊びやお金儲けもひとつの幸せ。でも、きりがない感じがする」




標高2300メートルのパロから1300メートルのプナカまで、曲がりくねった山道をドライブした。
資源が少ないこの国で、唯一「売るほどある」のが電力だ。国土の6割以上を占める森林と水から生まれる膨大な電力は、家庭電気普及率が3〜4割程度という自国では使いきれない。山岳地帯は電力輸送が難しいという事情もあり、隣国インドに輸出されている。電力は、国の主要貿易品目に数えられているほどだ。政府は国土の6割を永久に森林として残す方針を打ち出している。国家環境委員会、地方環境委員会が設置されて自然破壊への監視を強めるとともに、林業、工業、観光業などへのガイドラインが制定されている。学校では環境学が必須科目だ。だが、制度だけが森を守っているのではない。
休憩中に見つけたのは、眺めのいい岩場に置かれた小さな円錐の泥細工。「ほら、ツァツァ」。ブータン人は死後、薫り高い木で火葬にされ、遺灰は川に流される。灰の一部は108(100ともいう)のツァツァに練りこまれやがて土に還っていく。火葬のために木を1本切ったら、新しい木を1本植えるのだという。森が命を育み、命は森に還り、新たな命が生まれる。命の循環・輪廻転生を信じ、ハエも殺したがらない彼らが森を敬うのはごく当たり前のことなのだ。
「(輪廻の途上である)ほんの短い今の人生、満足して生きなければもったいない」。その夜訪れた酒場の主人は言った。
2005年、ブータンで初の国勢調査が実施された。最後の設問「あなたはいま、幸せですか?」に対して、「すごく幸せ」45.2%、「幸せ」51.6%。あわせて96.8%である。

「みんなで止めよう温暖化」を合言葉とする、地球温暖化防止のための国民的プロジェクトです。暮らしの中で誰もが出来る「6つのアクション」から身近なものを実践すれば、あなたにも温室効果ガスを削減することができます。
※当サイトの推奨ブラウザは、Windows Internet Explorer6.0以上、Netscape7.0以上、Firefox 1.0以上、Macintosh Safari 1.0以上となります。
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.
どらくに掲載の記事・写真の無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
©朝日新聞社
無断複製転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。